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悲しいとき

友達から、メールが届いた。
共通の友人の愛犬が死んで、友人がとても落ち込んでいるという内容だった。
こういう時、どうすればいいのだろう。
彼女が落ち込んでいる様子が目に浮かぶようだ。

家族同様にかわいがっていた犬だった。
遠方なので、実際に会ったことはなかったが、写真などで何度かみせてもらっていた。
大きいけれど、気の優しい、ひとなつこい犬だと聞いていた。
食いしん坊で、甘えん坊で、さびしがりやで、そして病気がちだった。
もう、年も年だし。体調もよくなくて心配だ。
そうは、聞いていたけれど。
でも、写真でなくて、そのワンちゃんに一度、直接会いたいものだと私は思っていた。
まさか、こんなことになるなんて。

たぶん、ひどく落ち込んでいる彼女に、何と言ってあげればいいのだろう。
いや、言ってあげるなど、おこがましい。
どんな言葉も、本当に悲しんでいる人の慰めになんてならない。
そんなことは、私だって、わかっている。

私の田舎でも、飼っていた猫が、今年なくなった。
今現在、一緒に暮らしていたわけではなかったけれど、それでも、かなりのショックだった。
たかが動物、ペットじゃないか。
そう言うと人もいると思う。
確かに、それは、そうかもしれない。
けれど、長年、一緒の家で暮らしているペットは、家族同然だ。
ペットの死が悲しくないはずがない。

毎朝、エサをねだる声が聞こえない。
もう二度と、膝にのって甘えることもない。
そう思っただけで、息が苦しくなる。
胸がしめつけられるように痛い。
もう二度と会えない。
そう考えると、涙が止まらない。
悲しくて、せつなくて、どうにもならない。

思い返すだけで、こんなに胸が苦しくなるのに、今、彼女はどんな気持ちでいるのだろう。
メールをくれた友人は、彼女のことをとても心配していた。
彼女は、今年の災害で辛い目にあったばかりなのだ。
とてもいい人なのに、なんで、こんなにいい人が、こんなに立て続けに辛い目にあわなくてはならないのだろう。
理不尽だ。
天災も寿命も人の手の届かぬ自然の理の中。
理性ではそう考えられても、心情的にはどうにも、やりきれない。

誰かに、何かをしてあげられるほどの人間ではない。
気の利いた慰めの台詞も思いつかない。
だから、私がメールに書けたのは、本当に凡庸なお悔やみの文句だった。
本当は、そんなことが言いたかったわけではないのだけれど。
適当な言葉が、どうしても出てこなかった。

彼女が、今どんな気持ちでいるのか、正確なところは、私にはきっと知りようがないのだ。
でも、想像することばできる。
同じような経験をした時に、私も、とても辛かったから。
きっと、彼女もとても辛いのだと思う。
たぶん、私より、ずっと辛いのだと、そう思う。

何もできないけれど。
そう言いながら、友人達は、彼女にメールを出したようだ。
辛い思いをしている彼女のことが心配なのだ。
メールで彼女の心をなぐさめることが出来るかどうか、わからないけれど。
もしかしたら、もっと辛い思いをさせるとになるかもしれないけれど。
それでも、辛い思いをしているとわかっているのに、何もせずにはいられなくて。
せめて、辛い思いをしている彼女のことを思っている人間がいることだけでも、伝えたくて。

友人が言うように、こういうことは、時間しか解決はしないのかもしれない。
でも、できれば、彼女が早くこのショックから立ち直ってくれればと願わずにはいられない。
難しいとは思うけれど。
だって、私だって、まだ思い返すだけで、涙が止まらないから。
それでも、いつか、これも綺麗な想い出にかわるんだろうか。
笑顔で懐かしいと思い出せる日がくるんだろうか。
いつか、そうなるといいね。
また、彼女とペットの話が笑顔で出来る時がくるといいと思う。
本当に、そう願っている。

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